さよなら、さよなら。



さよならなど、もう言える状態ではなかった。
雪の降った前々日から外は真冬の寒さ…それでもまだ彼女は小さく、微笑んで…。
しかし、前日になると彼女の体を何かが蝕み始めた、口を開くこともできない。
そして必死で抱きしめた頃、彼女は壊れた人形のように「ありがとう」と繰り返した。
擦れた声が消える…息を、まるで螺子が切れたよう、ゆっくりと引き取った。


最後の表情は、今までで一番優しげな、笑顔。





*




「ありがとうを言いたかったのは俺のほうだ。」
そう呟いて、膝を折る。手を着いた床は、冷たかった。






秋臣の両親は彼に何一つ求めなかった。
仲の悪い2人は始終喧嘩をし、お互いを罵りあうことにしか興味がなかった。
いつも部屋の隅に座って、その光景を見つめながら孤独に唇を噛み締める。
振り向いて欲しい。願いはそれだけだった。
その一心でひたすら頑張った。テストも、運動も、性格も、評判でさえも。
周りには完璧だ、と褒め称えられても、最も笑顔を見せて欲しい相手は振り向かなかった。






中学を卒業する頃離婚を決めたが、案の定『子供は要らない』と口をそろえた。
皮肉な話だが、もしかしたら初めて合った意見だったかもしれない……。
そうして今の家へ養子に出され、広い屋敷に住み、事業を継ぐまでになる。
しかしどこまで行っても孤独だった。一人ぼっちだった。
誰かから優しくされても熱を感じることはない。ただ勝手に進んでいく世界に全てを閉ざした。






そんな風に心を荒ませていた彼の前に現れたのが、あきらだった。
彼女は生まれた頃から体が弱い。母親は7歳になった頃、彼女を放棄した。
父親はそんな環境の中育てる自信もなく、金も屋敷もある親戚へ預けた。
それが秋臣だ。
彼は心の隙間を埋めようとするように、ひたすら彼女に甘えさせた。
そうすることで、自分自身が救われたかったのかもしれない。
嬉しそうに微笑む姿を見るたびに、孤独を忘れられるようになっていった。
そして自分自身も、心から微笑むことができるようにまでなった。












出会い、別れるまではたったの5年。
しかし、その歳月は彼を確かに救ったのである。
誰一人に彼に与えることのできなかった、熱や光を彼女はくれた。
だんだんと彼の世界は色彩を持つようになり、それを美しいとさえ思えた。
それはかれにとって何よりも大きな変化であり、幸福であった。










走馬灯のように駆け巡る思い出に、瞳からはほろりと雫がこぼれた。
それは彼女のベッドに寄り添うように置かれた、スターチスの鉢の上に落ちていく。
小さな花を伝い、土にゆっくりと染みる。






「ありがとうあきら、また会う日まで」
ずっと待っているよ、君だけを。 さよなら。











*







秋臣はあきらの部屋を出る前に、一言だけ、こう呟いた。
『君の分まで生き続ける、笑い続けるよ。』
心からの決心。彼の瞳には、暗闇は一欠けらも残っていなかった。
彼女の残した一冊のノートを抱きしめて、部屋の鍵をゆっくりと閉めた。








*







花は幾つもの季節を越えて咲き続けるだろう。


花開く姿は、大好きな彼女の笑顔のようだった。





















『さよならの果て』


(叶うなら、君に(貴方に)また出会えるよう願いたい)




























(スターチスの花言葉:永久不変・永遠の愛)